豊かな里山に、もっと豊かな実りを。
津和野町は町全体の90%以上が山林で占められている山里です。
昼夜、夏冬の寒暖差が激しく、濃霧や夕立など天候も変わりやすい気候は、人間にとっては少し住みにくいものです。が、気候の変化は季節ごとに美しい風景を見せてくれます。
津和野の地形や気候は、美味しい味覚も育んでいます。
タケノコ、タラの芽、ワラビにフキといった山菜が春には芽吹く。夏も近づく八十八夜は新茶の香りが漂い、清流には鮎が遡上してきます。秋はサトイモ、新米、柿…。冬には、山々の伏流水(名水)に磨かれた新酒に酔いしれる。季節を愛で、味わう暮らしが、津和野では今なお大切に守りぬかれています。
津和野の地勢を活かして新しい津和野の実りを生み出そうと、昭和30年代に津和野の栗の生産が本格化しました。
参考にしたのは大分県大山町(現日田市)の活動です。後に「梅栗植えてハワイに行こう!」というキャッチフレーズが有名になった大山町の活動に刺激を受けたのです。
桃栗三年柿八年、20年経ったら…
当町の地勢が栗作りに適していたのはもちろん、若き栗の生産者のみなさんのガンバリもあって順調に栗の生産高は伸び続けました。ピークを迎えたのは、昭和50年代。このころには生産数は100トン近くまで伸び、京都の市場(ブランド栗「丹波栗」が有名ですね)で品質の評価も高まってきました。
このころには一部で「津和野栗」という名前も響いていたといいいますから、もう栗業界(?)では、ちょっとだけ有名な存在だったそうです。
栗は3年で実をつけるといいます。20年を待たずに、生産高も評価も一気に上がったのですから驚きです。津和野の地形や気候が栗に適していたこともありますが、やはりここは生産者の皆さんのガンバリが実を結んだ結果です。
栗の実が熟して落ちるのを待っているだけではもちろん、品質の良い栗はできません。まず栗園の土作りから。大きく、美味しい栗の実を実らせるには、無駄に栄養が散らないように枝を切る(剪定)という作業が大事です。炎天下、斜面の昇り降りをしながらの作業は…。読んでいるだけでも大変さが伝わると思います。
栗は熟して落下したら収穫ですが、野生の動物達との競争です。イノシシや猿、時にはクマ、彼らは一番美味しい時を知っていますから、いざ収穫に出かけてみると、残されているのはイガだけ…。ということも。
というような苦労が伴う栗の生産。栗を本格的に生産し始めて半世紀が経った今…。
今なお島根県では一番の栗どころではあるものの、生産高は10トンあまり。生産者も高齢化が進み、だんだんと減っている。それでも、高品質の栗を育てています。
津和野を再び「栗の里」に!
2015年から、津和野町内の生産者、飲食店、宿泊業、菓子店が手に手をとって立ち上がりました。
桃栗三年! とはいいません。5年の時間をかけて、ほんとうに美味しい栗を。その栗で美味しいお菓子を。料理を。栗加工品をお届けする仕組みを作ろうという決意です。